兵馬俑



まずはホステルから地下鉄に乗り、安遠門(Anyuanmen)駅へ一本。そこから徒歩25分ほど歩いて兵馬俑行きのバス停へ。

地下鉄のチケット。先日訪れた大雁塔が西安のシンボルとして中央に描かれている。



降ったり止んだりの小雨。地面は軽くぬかるんでいるものの、歩けない訳ではないため西安の街を感じながらお散歩気分で歩く。

団地の中に病院がある。

ここも団地の一角。「生活便利店」はコンビニといったところか。

みんな原付に雨避けカバーをかけている。

どんどん歩く。

私が歩いていた歩道が途中で終わったため、その延長でしばらく車道の端っこを歩いていたら、原付で通った人たちにやたらと話しかけられる。

「危ない!」怒鳴られるのかな、とビクビクしていたら「あっちが歩道だよ」と皆優しく教えてくれた。

車が途切れたタイミングで急いで渡って反対側の歩道を歩く。

集落ごとに、塀で囲まれていたりする。

途中でどでかい遺跡のようなものを発見。時間がないのでスルー。

地図のルート通りに歩いたらなんだか怪しい小道に入ってしまう。本当にこの道で合ってるのか非常に不安。

人の気配がして安心。観光客らしき通行人は私しかいない。ただただ不安。

突き当たり、怪しげな地下通路へ…

雨漏れがすごい。地下通路なのに傘をさして歩いた。

地図には変なルートを歩かされたが、なんとかバス停にたどり着く。特に目立った看板などはなかったが、観光客らしき人たちの列は一つしかなかったため、おそらくこれが兵馬俑行きだろうと思い、並ぶ。

このバスに乗る。順次バスが来てくれる。全員座れた。

バス内の路面図にもしっかり「兵馬俑」があったため一安心。

バスに乗ってからしばらくしたら、ガイドの説明が始まった。おそらくこれから向かう兵馬俑あたりの説明をしているのだろうが、もちろん中国語のため一切わからない。この説明が30分ほど続いた。みんな静かに聞いていて、時折拍手をしているから、とりあえず私も周りに合わせて手を叩く。

車内の様子。混んでいなくて楽チン。

チケットは車内で買う。同時に、赤いビニール袋を欲しいに人だけ配っていた。何のために使うのか分からなかったが一応念のためもらってみた。

一時間ほどバスに揺られ、午後1時、兵馬俑駅に無事到着。どでかい駐車場にポンと降ろされ、それらしき建物も入り口も見当たらない。

とりあえずその辺にいた係の人らしき従業員に、兵馬俑の写真を見せて方向を聞き、ひたすらその人が指差した方を歩く。原始的だなぁ。

なんとも言えないオブジェが目の前に現れた。

それらしき入り口発見。

「秦始皇兵馬俑博物館」の看板。これに違いない。今はそんなに並んでいないが、これだけ長い柵があるということは、繁忙期にはこれくらいの人が来るのだろうか。考えただけで恐ろしい。

入場したはいいものの、兵馬俑がありそうな建物は見えない。また、その辺にいた人に兵馬俑の写真を見せて場所を聞く。指さされた方向に行き、分かれ道に出たらまたその辺にいる人に聞いて、指さされた方に行き、、、の繰り返し。

兵馬俑が眠る建物への道のり。入り口にたくさんの人がいたにも関わらず、道中は人が異常に少ない。本当にあっているのか不安でしかない。

周りにそれっぽい建物がたくさんあるし、特に目立つ看板が無いから迷う。どれ…?

やーっと発見!もうちょっと目立たせてくれ…。

係員に聞いたら、ここで合ってるみたい。ドキドキ。

兵馬俑の入り口や建物付近にたくさんの現地ガイドさんが立っていて、「案内は必要ですか?」とよく声をかけて来る。ネットの情報では、その中に日本語ガイドさんもいるらしかったのだが、「Japanese?」と尋ねても、ほとんど「Chinese and English only」と返されてしまう。せっかくの中国の歴史に触れる機会だから、インターネットだけの情報よりも、お金を払ってでも現地の人やガイドさんから話を聞きたかったが見当たらないため断念。

入館してすぐ、大きなスクリーンに映し出された地図。周りに展示物があったりするが、肝心の兵馬俑が見当たらない…。

半信半疑で奥に進むと、ドーンと現れた!わーい!広い!

今は、この遺跡を保護するためドームに覆われているが、当時の屋根は木でできていた。その木は細かい繊維マットが重なり合い、その上から細粘土で固めていた。この繊維マットの模様は、「人」の文字の柄でできていた。

すごい数!圧巻!

今から20年以上前は、まだほんの少数の兵隊しかいなかったらしい。かなり発掘が進んでいるようだ。

縦バージョン。何枚でも写真を撮る。

よく見ると、一体一体少しずつ違う部分がある。

斜めから。このボコボコ波打っている分厚い壁は、版築(はんちく)と呼ばれる技法で作られている。当時、黄河周辺で流行った建築方法だ。土を少しずつプレスしていき、層を作っていくことによって頑丈な壁を作り上げることができる。この壁の幅は2.5メートルもある。

アップ。

右から。

左から。兵隊たちが向いている先には、この遺跡の入り口である門が見える。この門は四方に5つあったとされ、この遺跡が完成してすぐに木の柱で厳重に封じ込められた。

右側に何やら看板が。

1974年に地元の農家の人が水を求めて井戸を掘っていたら見つけた場所。ここから発掘が始まった。
こんなにも壮大な遺跡をいきなり発見するなんてロマンがある。

兵隊たちが並んでる奥はまだまだ発掘途中。前面に並んでいる兵隊はほんの一部にすぎない。

発掘中。これから前の部隊に追加されるのだろうか。

お披露目までまだ時間がかかりそうな連中。

このドームの奥にはこんなにもたくさんの兵隊たちが。

一人だけ全身をラップで包まれててかわいそう…。

暑いからか、大きな扇風機の前で警備をしている警察。

こういう盾を見るとちょっとおっかない。

馬たちも修復中。

首なし。

髪型もポーズも、一体一体異なる。

発掘中。段差の上には遺跡の塊がドカッと積まれている。

ほとんどはこんな状態。溶けてくっついてしまっていて、原型を留めていない。この状態からよく兵隊の形になるよう修復しているなと感心する。

ドロドロ。

一部でレンガの壁も発掘されている。これは中国で発見された中で、最も古いレンガだとされている。

一番手前の列が、修復前後の様子が顕著に現れている。左側が綺麗に修復された像、右がまだ手付かずの地帯。

めっちゃ狭そう。

最後にパシャリ。

カテゴリー: 旅行

Airi Tabei

田部井 愛理(たべい あいり) 1994年生まれ。 世界一周、ロードトリップ(アメリカ西海岸往復、アメリカ横断、アメリカ国立公園巡り)達成。 日本の大学を休学し、シアトルへ留学。 アメリカ生活が楽しくなり、日本の大学を中退してシアトルのHighline College (短大)でHospitality and Tourism Managementを専攻。卒業後はUniversity of Washington Tacoma(ワシントン大学)に編入しArts, Media and Cultureを専攻、卒業。 ニューヨークで、週間情報紙「ニューヨークBiz!」で1年間OPTとして働いた後、日本に帰国。

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