梦回大秦 穿越体验馆
日本語ガイドさんとバスに乗っている間、兵馬俑についての話をたくさん尋ねた。疑問に思ったことをすぐその場で聞けるのは非常にありがたかったし、知識が豊富なため知らなかった、気づかなかったことを詳しく教えていただいた。ただ時々、話している日本語が聞き取れない時があったため、ガイドさんが何を言おうとしているのかわからない場面が多々あった。言っている文章を頭の中で整理していかないといけなく、休むことなく目的地に到着。
ここは「梦回大秦 穿越体验馆」というところらしい。読み方もわからないし、この建物の名前がこれで合っているのかもわからない。後日、インターネットでいくら調べてみても、日本語での情報は一切ない。
ここも行って、華清池にも行くとなると早足で見て回らないといけないらしく、外観を撮る暇もなかった。ここがどんなところかもよくわからないまま、慌ただしく建物の中へ入る。

展示物があろうとおかまいなしでどんどん進んで行ってしまうガイドさんに隠れて急いで撮影。これらは全てレプリカ。

労働者たち。強制的に墓づくりをさせられていた。庶民への税金も相当重かった。

これからアトラクションのようなものに乗るらしい。知らなかった…(笑)

3Dメガネが配られた。

USJのスパイダーマンのような感じのアトラクション。これは発車直後の様子。一番前の席に座れた。
地下宮殿は謎だらけ。たくさんの秘密が今でも眠っている。古墳のような大きな墓の山があるのは知られていたが、地下に大きな宮殿が作られていたことは長い間知られていなかった。未だに発掘はされず、西安の外れに眠ったままだ。
この地下宮殿は、秦の始皇帝が将来眠るためのお墓として、当時、始皇帝がたくさんの労働力や技術者を集めて作りあげた。ここには始皇帝の骨しか眠っていないとばかり思っていたが、それは大間違い。合計数千人〜1万人ほどの人間がこの中で亡くなっている。それは何故なのか。
実は、この墓を作った技術者や労働者、物を運んだ馬たちは全員生き埋めにされてしまった。始皇帝のお妃さんまでも、ここに閉じ込められて生涯出ることができなかったそうだ。元来、エジプトのピラミッドが有名なように、お墓などの遺跡には当時の王や歴史、貿易、権力などに関する秘密が、墓の壁画や彫刻に山ほど刻まれている。それを始皇帝が死んだ後、誰が外に漏らすかなどわかりもしないし、それが漏れてしまったら自分の後継者などがどんな目に合うか。自分の情報が漏れるのを防ぐため、外から厳重に鍵をかけてしまった。
もちろん生き埋めにされた人達はそんなことは微塵も知らなかった。墓造りが終わったらたくさんの報酬が約束されていたにもかかわらず、いざ完成したら出させてもらえない。なんてひどい仕打ちだ。でも、そこまでしてでも守り抜かなければならない何かがこのお墓にはあったのだろう。実際、それから今日まで、人々に知られることなくずっと長い年月、ここにひっそり眠っていたのだから。
もちろん、それを知った後世の盗賊たちは、お宝を狙いに遺跡を荒らしにやってくる。始皇帝はそれも計算済みで、墓のあちこちにトラップを仕掛けておいた。扉をこじ開けたら矢が飛んできたり、上から滝が降ってきたり、はたまた地面に穴が空いて深い落とし穴に落としてしまったり。彼らはそんなトラップに引っかかってしまい、墓全体の深さは30メートルもあるとされているうちのほんの9メートルほどしか掘られていない。そんな盗賊たちもこの中に眠っている。

これは墓を彩った技術者たちが、秦の始皇帝によって閉じ込められてしまい、なんとかして外に出ようと自分たちが作った扉を壊している様子。

3D映像のため、かなりぼやけてはいるが、このような地下宮殿があるらしい。天井には夜空の星を思い浮かべるような宝石が散りばめられ、地面には水銀が川のように流れている。その水銀の流れの上を、秦の始皇帝の棺が浮かんでいるらしい。当時、水銀は神聖なものとして考えられていた。
秦の時代は、人は死んでもその魂は生き続けると信じられていた。そのため、お墓を現実世界のように創り上げ、死後も不自由なく生活できるように、地下にはまるで本当に人間が住んでいるかのような現実世界のような空間を創り上げたとされている。
もちろんナレーションは全て中国語だったが、隣に座っているガイドさんに耳元で全て翻訳してくれたため、アトラクション中に何が起こっているのか理解することができた。
しかも、めちゃくちゃ楽しい。入る前は疑心暗鬼だったが、いざ乗ってみると当時の様子がアトラクション形式で垣間見れて迫力満点。ガイドさんの翻訳のおかげでかなり満喫できた。大満足。

乗り物を降りたら素敵な空間が。こんな感じのところに棺が流れているらしい。

綺麗。でもここもガイドさんはほぼ素通り。急いで後をつける。
秦の始皇帝は38歳で中国を統一し、それまでもたくさんの功績をあげた。それらは現代の中国でも受け継がれているから驚きだ。例えば、封建制度を郡県制にし、通貨を統一、さらに万里の長城までも作り上げてしまう。
相当の実力者だ。しかし、短い期間で相当の改革や大事業を手がけたため、そのたびに庶民は振り回され、高い税金を要求され、挙げ句の果てには労働や戦闘を強制させられたため、反感を買い、始皇帝の死後は反乱に逢う。墓も反乱軍によって荒らされたという。そうしてすぐに秦の時代は滅んだ。その代わり、次の時代の漢は長い間続いた。

霧雨でよく見えないが、林の奥にうっすら見える山のような影が、本物の秦陵地宮。晴れの日はもっとくっきり見えるそう。確かにぱっと見は古墳にしか見えない。まさかここの地下にあのような宮殿があるなんて夢にも思わないだろう。
この古墳の地下に眠っている宮殿を発掘するには、これから50〜100年はかかるとされている。兵馬俑が発掘された際、俑や剣が外気に触れてかなり傷んだという悲しい過去があるため、かなり慎重にことを運ばなければならないためだ。
まず、外気に触れないようにするためにこの山全体を巨大なドームで覆わなければならない。現代の技術ではそれは不可能。さらに、中に水銀が流れているとされているため、このまま発掘してしまうと宮殿に充満した有毒ガスが外に漏れて自然や生き物に大きな被害をもたらしてしまう可能性もある。そして、中がどのようになっているのかがわからないため、まだ知らぬトラップが発動してしまうかもしれない。
このようなことから、発掘作業が未だに手がけられていないのだ。
ゆっくりする間も無く、ガイドさんにタクシーを呼んでもらって急いで華清池へ。自力で行くとなったらここでさらに時間がかかっただろう。観光のスムーズさといった面でもガイド付きはありがたい。ただ、自分の思うようにゆっくりできないのが難点だ。それに、苦労して自力で辿り着く達成感も味わえないのもなんだか物寂しい。
タクシーの移動中にも、ガイドさんには中国にまつわる話をたくさんしてくれた。
例えば、中国国内は時差がないため、中国国内の西側と東側での日照時間が全く異なる。その中国の時間の中心とされている基準が西安なのだ。わかりやすく例えるなら、日本の明石のような場所だ。
そして、秦の時代から約800年後、唐の時代に、遣唐使と一緒に海を渡った日本の留学僧、空海が訪れた街として西安は地元の人々から知られている。空海は三蔵法師に並ぶほど優れた留学生で、中国の師匠から可愛がられ、仏教に関する様々な事柄を教えられたそうだ。
当時、もちろん自動翻訳機などありもしない。空海も三蔵法師もどのように現地の人々から学んだかというと、仏教においては言語は共通しているらしく、言語にはさほど困らなかったとされている。さらに、留学に出る前から、日本でしっかり中国語や仏教で使われている言語を勉強し習得しているため、言語における支障はほとんどなかったそうだ。
さらに、中国国内であまりにも街中やお寺に龍が施されているため、中国人の龍に対する考え方を聞いてみた。すると、龍は神聖なものとして、昔から人々から崇められている。そして、中国の王様は龍の子供だと考えられていた。それくらい王は別格な存在だったそうだ。
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