「旅の風邪は長引くよ」

これは私の旅の先輩から言われた言葉。これを受けて今日は無理せずゆっくり観光。

本日の目的地は西安市街地のもう1つのシンボル、大雁塔(だいがんとう)。

 

(西安のメインのシンボルは鐘楼!)

 

 

昼前に自然と目が覚めて、起きたら枕元に一通の手紙が。寝ぼけ眼で開いてみたら、なんと全部日本語で書かれている。昨晩仲良くなった、同室の女の子たちのうちの一人からだった。

彼女は、今日西安で開催される日本語のテストを受けるため、はるばる四川省からやって来た。日本の文化が大好きで、工業設計を学びに日本に留学したいと考えている。試験前にも関わらず、一生懸命に日本語で手紙を書いてくれたことに感動した。初めて会った日本人だからすごく嬉しい、ということが心を込めて書かれていた。これを読んでとても元気付けられたし、この子が日本に触れるきっかけを増やしてあげることができて良かった。連絡先が書かれていたため、早速メッセージを送り、出かける準備に取り掛かる。

 

 

大雁塔

大雁塔は、三蔵法師が実際に仏教の本場、インドへ学びに行き、持ち帰った経典を納めた場所。

 

私たちが「三蔵法師」と聞いたら、誰しもが西遊記を思い浮かべるだろう。三蔵法師を筆頭に、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を連れて、シルクロードを旅してインドの天竺(てんじく)を目指す物語だ。

だが実際は「三蔵法師」は一般名称で、インドへの留学僧を意味する。

例えると、遣唐使は日本から中国文化を学び自国繁栄の為に渡った使節団であるように、三蔵法師は中国からインドへと仏教を学びに旅をしたお坊さん。

 

後に出会う中国人ガイドさんに、「三蔵法師って、あの西遊記の!」と言ったら「全然違います。」と軽く怒られた…。

 

西遊記の三蔵法師は、実在した人物で、名を玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)という。

彼は三蔵法師 第一号。玄奘三蔵がインドへ行く前の時代は、中国には仏教は伝わっていたが、デタラメな仏法しかなかった。というのも、当時の仏教は、インドからはるばると翻訳を繰り返されて中国に届いていたものだから、意訳されていたりしていたのだ。

そこで玄奘三蔵は、本物の仏教を発祥地であるインドで学び、中国に持って帰ってそれを広めるため、中国からインド、インドから中国の果てし無い長旅に出る決意をする。

その年月は、行きに3年、帰りに1年を要したという。

 

なぜ往路にこんなにも時間を要したのか?

なんと、当時の中国政府が彼をインドに行く許可を与えなかったのだ。要は彼にビザが降りなかった。

ビザがないと当然、正規のルートでインドへ行くことができない。

そこで玄奘三蔵は数々の関所や政府の目をかいくぐりながら、インドへ行く羽目になってしまったのだ。不法でコソコソ旅をする玄奘三蔵。かわいそうに。

かなり遠回りをしてようやくインドへたどり着き、その後中国にちゃんとした仏教がもたらされた。

仏教はインドで興ったが、中国人である玄奘三蔵が仏教界でトップの人になった。それくらい優秀なお坊さんだったそうな。

 

さらにここ西安は、ローマへと続くシルクロードのスタート地点。まさしく西遊記の舞台になった地だ。

 

そんな歴史ある、大雁塔へ!

 

 

 

城壁の外側には、壁内を守るように川が流れている。壁外には高層ビルが立ち並ぶ。

 

川には船も通る。

 

高層ビルたち。

 

壁外から見た南門。

 

交通量が非常に多い。

 

南門のすぐそばにある永寧門(Yongningmen)駅から、2号線に乗り小寨(しょうさい)駅で3号線に乗り換え、大雁塔駅へ。所要時間は10分以内。西安の地下鉄も上海と同様、非常にわかりやすくて全く迷わなかった。

 

駅内には、城壁と唐人を表した作品がお出迎え。

 

上海同様、西安でも一日券を発見。写真を撮って受付の人に見せると、一発で通じた。楽々一日券購入。上海よりも安かったので、地域ごとにチケットが異なるのかもしれない。

 

大雁塔駅に到着。改札を出ると目の前に玄奘三蔵がインドへ行く様子を表した作品が。他の駅にもこのようなものがあるのか気になる。

 

複数出口があったが、Cが一番塔に近そうだった。

 

駅付近は栄えている。

 

この街の雰囲気に溶け込んだケンタッキーフライドチキン。

 

大きな鳥居のすぐ後ろには…

 

噴水ショー。迫力満点。大音量の音楽とナレーションが響き渡る。内容が気になる。奥には大雁塔が…!

 

中央に来ると水しぶきがすごい勢いで降り注ぐ。

 

傘を差して雨宿りをして楽しんでいる少年。

 

地面にはでっかい彫り物。

 

塔に向かって左側を歩くとたくさんの露天が。

 

街灯の柱には漢文が刻まれている。

 

その足元には唐の時代の貨幣「開元通宝」。

 

少し歩くと面白い銅像が。

 

地面には説明書き。中国語、英語、日本語にて。

 

これは唐の時代のお医者さんと患者さん。診察中。

 

唐の時代に流行った音楽。街頭で演奏していたらしい。

 

これは唐の時代に流行ったスポーツ、力比べ。相撲のようにお互いが押し合いへし合いしている様子。奥には行司さんのような人がいる。

 

別角度から。

 

しばらく歩くと大雁塔の入り口に到着。左側にチケット売り場がある。昼過ぎに着いたがそんなに混んでいなくてラッキー。

 

立派な門。

 

入場したらすぐ目の前に大雁塔が聳え立っている。

 

良いですねー。

 

階段の間には龍が彫り込まれている。

 

龍が塔に向かっているように描かれている。

 

階段を登り切ると大きな香炉が。

 

日本のものに比べて、線香一本一本が太い。そのため煙の量もすごい。

 

本堂の前にはお祈りするための場所が設けられている。下に敷かれている座布団に膝をつけてお祈りする。

 

大雁塔の敷地内はたくさんの見所が。ここの通路にもびっしり小部屋があり、それぞれに仏像や当時のものが展示されている。

 

床には金ピカの財宝が。

 

後ろを振り返ると趣ある建物がずらりと並んでいる。

 

ズーム。

 

屋根の上には可愛らしい動物たち。

 

屋根の下には龍の彫刻。

 

その下には、玄奘三蔵が持ち帰った「般若心経」。

 

その隣にはまたまた龍。

 

釈迦は右脇から生まれてすぐに7歩歩き、右手は天、左手は地面を指し、「天上天下唯我独尊」と言った。それを表した金ピカの像。

 

通っていた高校が仏教校だったため、大雁塔は巡っていて本当に楽しい。

 

てっぺんまで登ります。エレベーターがなく、階段のみ。先ほど払った入場料とは別に、展望料が必要。

 

入ってすぐ、頭上にはなにやら歴史がありそうな文章が彫り込まれている。

 

狭い通路にもびっしり。

 

一部破損しているが、ガラス張りで保護されている。

 

玄奘三蔵が経典を運んでいる様子。

 

オシャレな天井。

 

玄奘三蔵がインドから中国に運んだとされる経典のレプリカ。各階の踊り場に歴史ある品々が展示されている。

 

まだまだ登ります。

 

大雁塔の屋根下につけられていた風鈴。今でもあり、風が吹くと綺麗なベルの音が心地よく鳴る。

 

鐘の周りに施された文字。

 

やっとの思いで頂上につく。しんどい…。

 

窓が東西南北それぞれついている。

 

手前には古い建物、奥には高層ビル、さらにその奥には山並みが望める。

 

ここから水上ショーが見れる。あいにく今はやっていない。

 

外から入ってくる風が心地良い。

 

四方からの眺めを堪能し、大雁塔を後にする。

 

横から見ても同じ眺め。

 

西安では文字や龍が、壁、地面などに刻まれている光景をよく見かける。

 

次は、大雁塔の裏側にある玄奘三蔵院へ。

 

残念ながら、修復作業中で玄奘三蔵の像や、経典の原書などは見ることができなかった。

 

ちょっとした中庭。

 

壁には昔の大雁塔の様子を納めた写真が展示されている。

 

境内の出口に向かう途中にあった建物。ここで少し休憩。

 

ここにも龍。細かいなぁ。

 

名残惜しい。

 

たくさん階段を登って疲れたため、売店で休憩。サントリーの烏龍茶。味は多分日本で売られているものと同じ。やっぱり冷え切ってはいない。

 

境内を出て、しばらく歩くと大雁塔南広場に着く。

 

大雁塔南広場は、玄奘三蔵の像と大雁塔を一枚に収めることができるスポット。

 

 

雁塔南路

南の方に進むと、「雁塔南路」という大通りに出る。歩行者天国で、両側にはショッピングやらレストラン、映画館や美術館が立ち並んでいる。かなり長い通りで、賑わっているかと思いきや入ってみると案外人通りは少ない。

 

ここから「雁塔南路」スタート。

 

近くにあったウェスティン ホテルに入ってみる。豪華…。

 

さすが、綺麗。

 

ここにもワールドカップの対戦表。

 

「書」のオブジェ。

 

ぶら下がっている赤い提灯がかわいい。

 

さらに南へ進むと「新唐人街」の看板が見えてくる。まだまだ雁塔南路は続く。

 

ここ西安は昔、「唐」の国だったためだろう、街の至る所に「唐」の文字が点在している。

 

雁塔南路の中央には隊列を組んで行進する人々の像。これも唐の様子を再現したものだろうか。

 

なが〜い隊列。

 

中国の映画館。「太平洋影城」の看板の下に、「Pacific Cinema」と書かれている。

 

気軽に入れそうなレストラン発見。ここで一息。

 

辛さ控えめのミートボールと麺。パクチーにもすっかり慣れて、とても美味しい。ウェイターは皆チャイナ服を着用していて素敵だった。

 

ここにもワールドカップ対戦表。中国でも大注目されていることが伺える。

 

 

 

開元広場

しばらく雁塔南路を歩いていると、大きな広場につきあたる。ここが開元広場だ。

たくさんのレストラン、ホテル、ショッピングモールなどに囲まれていて、とても賑やかで華やか。

 

 

「I🖤西安」がお出迎え。

 

ピザハット発見。中国語表記は「必胜客」。

 

レストランと思われる店前で路上パフォーマンス。音楽とともに繰り広げられる豪快な動きに圧倒される。観客は釘付け。

 

これは何かな…?

 

迫力満点の留がお出迎えしてくれるレストランだった。

 

日が傾き始め、赤提灯にもだんだん火が灯り出したため、この広場を出る。

 

閉館後の大雁塔入り口。

 

上海の豫園(よえん)にもあった中国式の紙芝居。椅子に座って穴から覗く。「西洋鏡」なんて言葉に惹かれる。

 

時刻は8時過ぎ。いよいよ暗くなってきた。大雁塔駅に戻ったらまた噴水ショーを見ることができた。奥には綺麗にライトアップされた大雁塔。このライトの色味が景観に合っていて幻想的。

 

 

ここにも謎のダンスを踊る人々。他にも複数の団体がいた。

 

大雁塔だけ行くつもりが、結局かなり遠くまで歩いていた。体調はまだ優れないが、これだけ歩けたということは昨日よりだいぶましになったということだろう。心配していた帰宅ラッシュに遭うこともなく、地下鉄でホステルへ戻る。

 

永寧門駅に着き、城壁の南門を通る。昼とは全然違う景色。

 

ピカピカの城壁。壁の上の凸凹の線も、暗闇でも目立つように黄色の光で縁取られている。

 

かっこいいな〜。

 

反射した光が川面に映し出されている。綺麗。

 

ただただ綺麗。

 

 

徳福巷

中庭で休憩をしていたら、向かいの机に女の子たちがビニール袋を片手におしゃべりしながらやってきた。ちらっと見ると、そのビニール袋の中にはなんと新鮮そうなバナナがちゅるんと入っていた。ここら辺で売っているものは傷んだものがほとんどで、なかなか買えないでいたのだ。

初対面の人にいきなりバナナをどこで買ったかなんて聞くのも、なんだか変な人みたいで躊躇ったがこんな綺麗なバナナを食べるチャンスなんてそうそうない。恥を凌いで、思い切って尋ねてみる。

最初は驚いた顔をされたが、すぐに地図を開いて一生懸命場所を教えてくれた。具体的な店名は出てこなかったものの、行き方と大体の場所はわかった。ホステルから徒歩10分と案外近い。

 

行ってみたらそこは西安のクラブ・バー街だった。

 

門を潜ると、そこにはきらびやかな世界が広がっている。

 

西洋チックな建物とネオンギラギラのバーが軒を連ねる。

 

一本隣の通りには、夜遅くまで開店しているカフェ・レストランも多い。

 

徳福巷に入る所に、ビールのHeinekenの大きなアーチがかかっていた。初めて見かけた時は西安の街の一角で英語、それも欧米のブランド物が堂々と掲げられている光景に驚いたが、入ってみたら納得。地元の若者たちだけでなく、海外の人たちもたくさんこの徳福巷にやってきていた。

道路の両側はクラブだらけ。クラブといっても防音対策がされている訳ではなく、非常にオープン。通路に面した壁はガラス張りで、外から中がよく見える。ジャズを演奏したり、中国歌謡を歌ったり、はたまたミラーボールを回してDJに合わせて踊ったりと、店によってパフォーマンスは違うが、どこもネオンの光に包まれて大音量で音楽を流している。

 

どの店も、大きなスクリーンにワールドカップの試合中継を映し出していた。

 

 

客引きらしき人たちをちらほら見かけたが、しつこく話しかけていない印象。身の危険を感じることは無かった。

調べてみたら、ここはカフェ街として有名らしい。私が来たのが夜だったせいか、メインの通りにはカフェは特に見当たらなかった。

 

無事、教えてもらった果物屋さんにたどり着き、新鮮なバナナを買うことができた。今日一日終了〜。

 

ロビーでくつろいでいたら、分厚いノート発見。開いてみると、宿泊者の寄せ書きノートだった。

 

綺麗な文字。

 

誰かが旅したルートだろうか。私も敦煌に行きたい。

 

素敵な写真が挟まっていたり、

 

スケッチが描かれていたり、

 

絵日記に写真がぺたりと貼ってあったり。

 

カテゴリー: 旅行

Airi Tabei

田部井 愛理(たべい あいり) 1994年生まれ。 世界一周、ロードトリップ(アメリカ西海岸往復、アメリカ横断、アメリカ国立公園巡り)達成。 日本の大学を休学し、シアトルへ留学。 アメリカ生活が楽しくなり、日本の大学を中退してシアトルのHighline College (短大)でHospitality and Tourism Managementを専攻。卒業後はUniversity of Washington Tacoma(ワシントン大学)に編入しArts, Media and Cultureを専攻、卒業。 ニューヨークで、週間情報紙「ニューヨークBiz!」で1年間OPTとして働いた後、日本に帰国。

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