眠い。朝8時のフライトに乗るため、早朝5時15分にホステルをチェックアウトしなければならない。逆算すると、4時45分起き…。
国内線だから、2時間前に空港に着いている必要はないだろうと思われるかもしれない。だがここは異国の地。何が起こるか本当に分からないのだ。慎重には慎重を重ねて行動する。
実は数年前、シアトルからニューヨークへ旅行へ行った時、行きも帰りも飛行機を乗り過ごしたのだ。クリスマスで繁忙期の中、幸い無料で飛行機を変更してくれたが、空港泊をするはめになった。この「事件」を今でも鮮明に覚えていて、未だに空港、飛行機に乗ることが怖い。搭乗口に着き、自分が乗るフライト名がそこに表示されているのを何回も確認しないと、この不安はいつになっても拭えないのだ。
とにかく2時間前に着くには早朝に出発しなければならない。早起きが大の苦手な私が早朝に起きれたことなんて自慢ではないがめったにない。床に着き、このまま起きていようか、それとも寝てしまおうかしばらく悩んむ。どうしようか。ふと時計を見たら、時刻は夜中の2時。えーい寝てしまえ!
奇跡が起きて、なんと起きることができた。だが、寝る直前まで、「起きなかったら死ぬぞ」と自分に呪いをかけるように何度も何度も暗示をかけていたせいで、なんだか寝た気がしない。
最悪なことに、この時感じた疲労感がそのまま最悪の事態を引き起こすことになる。
この時はまだ、「喉がイガイガするな」としか思っていなかった。甘い。甘すぎる。
頭がぼーっとするまま、ホステルの受付の人に呼んでもらったタクシーに乗り込む。
このタクシーの運転手がスマホの翻訳を使って何か私から聞きたがっている。だがうまく翻訳されてなく詳しいことは分からなかったが、フライトナンバーを知りたがっているらしい。チケットを見せたら自前のスマートフォンで何か調べだした。どうやら私を降ろすターミナル番号を知りたかったらしい。なんとか意思疎通が出来て、一安心。
また運転手が私に翻訳されたスマホ画面を見せてくる。
「Where are you from?」
すかさず、「I’m from Japan」と返答。
首をかしげる運転手。今度は「Japan」とだけ入力。また逆方向に首をかしげる。急いで私も自分のGoogle翻訳機を使い、「日本」と打ち込み、見せる。
あ~!と理解してくれたようだ。「このソフトウェアは便利ですね」と今度は日本語で翻訳された画面を私に見せて、ニコニコしていた。
全くお互いの言語が分からなくても、こうやってコミュニケーションが取れるなんてすごい時代だ。そこから、「チケット取った?」とか、「これからどこに行く?」とか、お互い無言で画面上の会話を繰り返す。見せるたびに楽しそうにしている運転手を見ると私までワクワクしてくる。
上海が私の世界一周旅行の出発地点で本当に良かった。たくさんの楽しい思い出が出来たし、いろんな人との出会いがあり、様々な新しい発見ができて毎日がとても新鮮だった。そんなことをぼんやり考えている間に、空港に到着。支払いを済まし、タクシーを出る時、なんとかこの想いを上海の人に伝えたい、私は上海の人たちからたくさんのものを受けたけど私からは何もあげられていない、と感じ、咄嗟に
「上海はいい街ですね。とても楽しかったです。また来ます。」
と翻訳画面に打ち込み見せる。すると、今日一の笑顔を見せてくれて、親指を立てて彼は車を発車させた。こんなありきたりなことしか言えなかったが、本当に楽しかった。できれば私に関わった全ての人に伝えたいがそんなことは不可能なわけで。でも、上海で最後に出会った人に伝えることができて良かった。心置き無くこの街を出発する。
空港に早く来て正解だった。手荷物検査前は人、人、人。とにかく人で溢れかえっていた。みんな順番待ちらしい。私も人の流れに乗って最後尾に並ぶ。中国国内線のため、中国国民はパスポートチェックの代わりになにやら証明写真付きのIDカードのようなものを提示していた。アメリカにもこういったものはあるが、日本にはない。先日、マイナンバー制度ができたが、実際に私自身の番号は分からないし、管理されている、という意識はあまりない。(そもそも日本に住んでいないからなのだが)。マイナンバー制度は実際に世の中に役立っているのだろうか。と疑問に思う。
手荷物検査にライターとモバイルバッテリーを出し忘れて、もう一回チェックに回される。2回目は反応はなかったにも関わらず、一つ一つ、私のバッグから物を出して確認されてしまった。一番驚いたのが、のど飴「VICKS」の箱の中身まで確認された。そこまで怪しかったのか。。。
搭乗口に着いたと思ったら、そこからバスで飛行機まで移動するらしい。ゆっくり休む間も無く飛行機に乗り込む。わずか3時間程のフライトだが、できるかぎり寝ようと思う。体が熱っぽい。喉もずっとイガイガする。
AIR CHINAでは、機内の説明動画にはパンダが使われていた。中国らしさを感じる瞬間。
飛行機が西安咸陽国際空港に着き、起床。起きた瞬間、「あ、さらに体調悪化した」と直感。
さて、ここからどうやってホステルまで行こうか。空港出口の目の前に高速バスのチケット売り場があり、とりあえず列に並んでみる。受け付けの人にホステルの地図を見せ、その場所付近に一番近いところまで行くバスに乗りたいことを伝えると、なんと英語で返事が返ってきた。
すると、どうやら高速バスより高速タクシーの方が安く早く着くらしい。他社であるにも関わらず、その場所まで案内してもらえた。が、そこの受付の人とはなかなかコミュニケーションが取れない。3人ほどに取り囲まれ、ホステルの近くまで行きたいことを、翻訳機や身振り手振りで必死に伝えようとするが、どうしても伝わらない。お互いにっちもさっちも行かなくなってしまったので、みんなでゾロゾロと英語を話せた受付の人の元へヘルプを出し、通訳してもらう。どうにかチケットを買うことができ、乗り場まで行くとすぐに高速タクシーが来る。
ワゴン車で、すでに数人乗客がいた。最初はお互い静かに座っていたが、徐々に乗客同士たわいもない話をしだす。私にも当然話を振られるが何もわからない。中国語を話せない旨を英語で伝えると、隣に座っていた青年が通訳をしてくれた。すると、みんな各々が知っている日本語の単語を私に投げかけてきた。
「こんにちは」「ありがとうございます」「かわいい」「私は○○です」
そこから、どこから来たのか、なぜ一人で旅をしているのか、どうして西安に来たのか、これからどこに行くのか、など、各々がスマホの翻訳機を使い、興味津々で尋ねてくる。私も楽しくなって一生懸命文字を打ち込む。なるべく分かりやすいように単語で会話する。
そうして一人一人徐々に降りて行き、その度にみんな日本語で「さようなら」と笑顔で声をかけてくれる。思わぬ楽しいひと時を過ごした。
西安はその昔、長安と呼ばれていた地域。中心地は一辺およそ3キロの城壁で囲まれている、古くからある歴史的な街だ。
車内から見た街並みも、活気で満ち溢れている上海とはうってかわって、西安は昔の建物や暮らしがそのまま現在まで引き継がれているような印象を受ける。
私が一番最後に下車し、そこからホステルまで5分ほど歩いて向かったのだがいかんせん体調が優れない。車や人通りが多く、人酔いまでしてくる。ひとまずチェックインをし、荷物を置いて街を散策する。
ここでゆっくり休んでおけば良かったものの、日にちが限られているし、折角来たのに寝ていてはもったいない、という気持ちが捨てきれなく、無理をして外に出て歩き回る。
南門付近をフラフラ散策した後、そこから城壁内の中心地までまっすぐ伸びた大通りを通る。
宿泊先のホステルから、城壁内の中心地、鐘楼(ジョンロウ)まで1キロ、徒歩わずか15分ほどの距離を倍以上かけて歩き辿り着く。
次の日は、昔々、中国の仙人が修行していたといわれている険しい山で有名な華山(ホワシャン)へどうしても行きたかったため、まずはダウンタウンでツアー会社探し。(後から調べたら、地元のバスなどを乗り継いで自分でも行ける場所らしい。)
中心地にあったスターバックスのWi-Fiに繋ごうとしたら、全く繋がる気配がない。よくよく見たら、中国の電話番号がないと一切使用できないようになっていた。かろうじて表示に出ていた他のフリーWi-Fiも全てそう。
自力でツアー会社を探すのは不可能になった。こんなことになるならホステルで事前に調べておけばよかったなと後悔しつつ、最終手段発動。その辺の人に聞く。
全く関係ない鐘楼の受け付けの人に、唐突に華山の写真を見せて、「明日ここに行きたいです」という文を翻訳機にぶちこみ見せる。すると、非常に優しい人で、一番近くにあるツアー会社の受け付けまで連れて行ってもらった。日本語を少し勉強しているようで、道中、日本語で簡単な挨拶を交わせたおかげで少し心が軽くなった。
ここで体調が最高潮に悪くなる。意識が朦朧としフラフラの状態で、勇気を出して店内に入る。いつものごとく、受付のおばちゃんに中国語でバーっと話され、意を決して、さっきの受付の人にしたように華山の写真を指差し、明日行きたい旨を伝える。まあいつものように翻訳機を使えばなんとかなるだろう、という軽い気持ちもあった。
すると、おばちゃんは怯むことなくまた中国語で話してくる。私は負けじと翻訳機を見せ、あらかじめ追加しておいた中国語のキーボードを指差し、文字を打ち込んでもらう。長文だったせいもあり、翻訳された日本語文は支離滅裂。試しに英語訳に変えても同じ結果。全くわからない。
この小さい店内に受付のおばちゃんの声が永遠と響き渡る。会話が全く進まないこと15分ほど経過しようとしていた。あーどうしよう。
諦めようと思ったその時、小さいこの店内にいた家族連れの若いお母さんが私の元にスタスタとやって来た。
すると、どかっと私の隣の席に座り、いきなり「この人はあなたを連れて行けないと言っているわよ。」と英語で話をしてくれた。そして、その理由を一つ一つ丁寧に、おばちゃんからお母さん、私へと伝えてくれた。
私が中国の電話番号を持っていないから、ホステルからツアーに連れて行っても現地で何かあった場合私と連絡が取れないと大変なこと、団体で動くから一人が何も分かっていないと他の人にも迷惑がかかってしまうこと、意思疎通ができないとスムーズにツアーが進められないこと、英語のツアーはここでは扱っていないこと。
最後に、「日本人だからダメ、というのではないよ、様々な理由があってあなたを連れては行けないけど、西安は素敵な街だからぜひ楽しんでほしい。そしてたくさんのいい人たちばかりだから、きっとみんなあなたを助けてくれるわ、よい旅を!」と付け加えて。
この最後の言葉を聞くまで、店内に入ってからずっとひとりぼっちの気分だった。まあ実際に一人旅なのだが、世界から自分だけ取り残されたような感じで。無力さ。孤独。寂しさ。怖さ。これらの感情が一気に押し寄せて来た。連れて行ってもらえなかったのが悔しかったのではなく、拒絶されているかのように感じた。話を聞いている間も、ツアー会社の受け付けで泣くなんて絶対に嫌だったから、今にも溢れ出て来そうな涙を必死にこらえていた。
でも、そうではなかった。
二人とも、異国の地から来た私を助けようとしてくれていたのだ。一人じゃない。人の優しさに触れてまた泣きそうになる。(この記事を書いている間も、この時の感情を思い出して泣きそうになった。)
店を出る時、二人とも笑顔で見送ってくれた。
そこからどっと疲れが押し寄せて来たため、ホステルに帰って一休み。この数時間でドップリ体力を消耗して動けなくなってしまった。
部屋に入ると一人の女の子が先に入室していた。お互いぎこちなくあいさつをする。私が中国人でないと分かると「Where are you from?」と話しかけてくれる。中国のホステルに泊まってから始めて気づいたのだが、中国のホステルの利用者はほとんど中国人。よく物珍しそうに、興味津々で話しかけられるのもそのためだろう。そしてそこからどんどん話はふくらむ。
彼女は仕事を辞め、一人で中国中を旅していた。ここは彼女の旅にとって最後の場所らしい。カメラに納めた数々の美しい写真を見せてくれた。私が行きたかった「莫高窟」あたりの写真まである。この辺りを一週間ほどかけて一周したのだそう。そこにはウユニ塩湖のように、きれいに空が反射した湖、エジプトのような砂漠地帯をラクダに乗って一列になって歩いている夕日の影、勢いよく流れる黄河。中国はやはりでかい。様々な顔を持っている。瞬時に顔が変わる変面のようで、仮面劇を見ているかのようだ。
数時間ほど休憩して、彼女がオススメしてくれた、城壁の上から眺める夜景を見るため再び西安市内へ。
すっかり回復したと思っていたが、ものの10分ほどでバテてしまう。城壁を登る体力が全くない。
一旦引き返すか迷ったが、ご飯は食べなければ。飲食店を探し歩いている間に、食欲は失せ、吐き気までしてくるほどに。
食事よりも薬だ、と思い、藁をもすがる思いで一番近くにあった薬局へ駆け込む。
入店し、薬剤師のおじさんに身振り手振りで風邪を引いたことを必死に伝える。が、やはり上手く伝わらない。そろそろ立っているだけで精一杯になり、もうダメかと精神的に参っていた頃、
「どうしましたか?何か手伝いましょうか?」
と日本語で話しかけられた。顔を見上げたら、橋本環奈似のとても可愛らしい女の子が心配そうな目で私を見つめている。ああ、天使に出会えたと心から思ったほど、懇切丁寧に私と薬剤師さんとの通訳をしてくれた。
いつからこの症状は出たのか、どこが痛いのか、など詳しく話を聞いてくれ、私に合った漢方を二箱用意してくれた。その際も、こっちは一日三回、食前に5錠で〜、と丁寧に教えてくれて本当に救われる。彼女が去った後も、薬剤師さんは体まで労ってくれて、なんとか歩く気力を取り戻す。
ホステルに戻る途中にあったコンビニで手短に肉まんととうもろこしを買い、なんとか一日を終えることができた。
部屋に戻ったら5人ほどの女の子たちが楽しそうに会話をしている。私はそそくさと寝る準備をしていると、おずおずと英語で話しかけられる。彼女たちが各々知っている最大限の英語を使って、一生懸命に私と会話しようとしてくれる。後からわかったのだが、彼女たちにとって私は、初めて会った外国人だったそうだ。話が通じるたびに、すごく楽しそうにはしゃいでいて私まで愉快になる。
ここの出会いにもまた心が救われる。
改めて痛感したのだが、助けを求めた方々、みんなが力になろうとしてくれた。今日出会った全ての人に救われた。誰一人として拒絶することなく、私が伝えようとしてることを一生懸命に理解しようとしてくれたし、彼らが言いたいことを必死に伝えようとしてくれた。大げさかもしれないが、みんなが味方でいてくれたそのことに涙が出そうになった。