上海虹橋国際空港から降りた瞬間、加湿器を浴びてるみたいに、ムワッとした空気に全身が包まれた。日本の比にならないくらいの湿気だ。
目の前のタクシーの列も長い。私が泊まるところはユースホステルで送迎バスはないから、否応無しに並ばなければならないのだ。20分ほど経って、あと2-3組みで乗れるところまで来て急にハッとした。
カードが使えなかったらどうしよう。
一か八かで乗るより、現金も手元にあった方が絶対にいい。渋々列から抜けて、空港のロビーに戻る。でもいくら探しても両替所やATMが見つからない。その辺にいた警備員に聞いて身振り手振りで場所を教えてもらう。
ようやく両替所にたどり着いたはいいが、一元が日本円でいくらなのか、手数料は妥当なのか全くよくわかんない。為替の計算もろくにできない自分が情けなくなる。でも一応受け取った額はいくらだったかチェックして、蒸し暑い中、タクシーの列に並び直す。
ひたすら無心で並ぶ。いかんせん中国では時間つぶしでスマホもろくにいじれない。たとえWiFiに繋がったとしても、SNSやインターネットもろくに開けない。政府が制圧しているのだ。
対策として、事前にVPNというアプリをダウンロードしておいた。これがあれば中国でもSNS等を開けると聞いた。だが着いてすぐは機能しないのか、全く繋がらない。旅行前にオフラインで聴けるアプリで、好きな曲をダウンロードしていたが、右も左も分からない状況で、宿や旅先の情報が入っている命綱であるスマホの充電を減らしたくないし、何より少しの情報も惜しい見知らぬ土地で五感の一つを自ら失うのは致命傷だ。
飛行機から降りて1時間弱たち、ようやく私の番になった。
前の人たちの様子を見て、いかに自然にタクシーに乗るかのシュミレーションを頭の中で何回も繰り返す。よし、乗るぞ!と意気込んで乗ったはいいものの、中国語で書かれたホステル名を見せても全く通じない。ホステルの地図を見せても同様。どうにもならず、これも事前にダウンロードしてあったGoogle翻訳のアプリで、「私はここに行きたいです」と日本語から中国語に翻訳されたものを見せてもダメ。
え?言葉が通じなくても地図と住所を見せれば連れてってくれるんじゃないの?いろんな人のブログでそうかいてあったはず。
しょっぱなから異常事態発生。
車内でゴタゴタしてたら外から係員に声をかけられ、タクシーから降ろされる。タクシーに乗るなってことか?
タクシーの運転手と2人の係員、3人で会話をしだす。私はインターネットも開けないから、事前に持っていた情報しかない。ひたすら地図と住所を見せる。スクショしてあった住所のページに小さく電話番号が書かれていた。それを発見した係員が、ここに電話して!俺たちが電話にでて話してあげるから。とジェスチャーで伝えてくる。そこですかさず私はGoogle翻訳で「携帯がインターネットに繋がらないから電話できない」と翻訳機に打ち込み見せる。
お互い訳わかんなくなってきたところで、運転手のおじちゃんが笑いながらタバコを吸い出して私も笑えてきた。場が和んだところで、4人で私のスマホに写し出されたホステルの地図を覗き込み、ルートを見て叩き込んでもらい、ようやくタクシーに乗り込んで発車した。
3人とも、異国の地から来た私の言ってることを投げ出さずに理解しようとしてくれてすごく嬉しかった。「それがタクシーの仕事なんだから当たり前だろう」という人がいるかもしれない。でも、もしかしたら言葉が通じないから乗せたくない、という運転手もいるかもしれないし、お断りの人もいるかもしれない。
そんな中、いきなりやってきた見知らぬ外国人に対して、嫌な顔一つせずなんとか連れて行ってくれようとしてくれたことは、非常に嬉しかったし、この理解しようとしてくれた姿勢のおかげで、心が折れずに済んだ。
とはいえ、幸先絶好!と言える状況ではないことは確かだ。これからどうなることやら。不安の中、タクシーが上海の街へ私を連れて行った。
時刻は夕方。ホステルから近い観光地、豫園へ向かう。
宿でどうしてもインターネット接続が欲しかったのだが、中国に着いてまだ一回もVPNが繋がらない。部屋にいた地元に帰省中の女の子に話しかけて小一時間ほどかけて手伝ってもらい、ようやく繋がった。この上海出身の同部屋の学生によると、今の時間の地下鉄やバスはラッシュがひどいから、移動はタクシーがいい、というなんとも心強いアドバイスを得て、ひとまずタクシーで移動することに。中国ではUberが廃止されてしまったので、滴滴出行というライドシェアなどが今流行っているらしい。私もさっそくダウンロードしてみたが、中国語表記のみで使い勝手がどうも分からない。結局ホステルの人にタクシーを呼んでもらった。
受付の人たちは英語を話せないが、Google翻訳やジェスチャーを通してコミュニケーションを取った。とても親切な人たちだった。
実は今回の旅は、航空チケットは取ってはいるものの、肝心の行動ルートを全く決めていない。今日のことは今日決める。宿だって前日に決めた。世界一周旅行に出る前に、宿なりその土地のことなりを調べておけばよかったのだが、私の悪い癖で全部後回しにしてしまっていた。その場の状況や気分によって行き場所を変えれるから今やらなくても大丈夫、と思っていた。
確かに、ガチガチにルートを決めていると、自由さが無くなり硬い旅行になってしまうし、毎日決められたルートをこなすだけの機械的な作業になってしまうだろう。かといって、私のように何も決めなさすぎるのも良くない。着いた瞬間、未知の世界に踏み入れることになる。右も左も、どこに何があるのかも、電車の乗り方も何一つ分からない。聞こえはスリリングで冒険的だろうと思われそうだが、実際はとても地味で面倒だ。今日のことを決めるため、ホステルでひたすら調べて気になるものは全部スクショ。ひたすらスクショするのでこの作業を「スクショ祭り」と命名した。本当に地味だ。目的地への行き方や目印になりそうなもの、見所や歴史的な小話など、帰りのことも考えて最寄駅の名前など、あるだけの情報全てスマホに写真として取っておく。取捨選択する時間は無いし、人によって発信している情報が違うこともあるから、一つの情報に頼りすぎないようにするようには心がけている。
豫園のすぐそばで降りた瞬間、人々の熱気と建物の壮大さとどこからともなく漂ってくる屋台の香ばしい匂いに包まれる。私が思っていたのは、静かな湖の上に赤く古い中国式の建物が建っている落ち着いた空間だと思っていたが、実際はそれの真逆。そこは観光地として栄え、非常に活気のある賑やかな街だった。
でも、いくらこの一角が観光地化されていたとしても、ここで生活している人はもちろんいる。この人たちと、観光客の流れの対比をすごく面白く感じた。静と動の差が激しいのかもしれない。
世間話をする買い物帰りのおばちゃんとお土産屋さんの店員。脇道でふと目にした、ラーメンをゆっくりすすっているおじいちゃん。寺の下で雨が止むのを待っている子供。店先に置いてあるブラウン管テレビで格闘ゲームに集中している親子。客が来ない向かい店同士の暇なバイトたちのはっちゃける笑い声。道端でタバコを吸ってぼーっとしているおじさん。
私にとって、この光景は「異国の地の人々」として映るが、この人たちにとってはこれが普通の日常なのだ。
この静と、観光客や彼らを乗せてせわしなくクラクションを鳴らしてるタクシーの動が混ざり合っている。それが豫園だった。
上海の夜景が観れる黄浦公園へは歩いて行った。ここは上海一番の見どころだったこともあり、人でごった返していた。公園までの道のりは、大行列が出来ていて、なにか祭りでもあるのかとさえ思ったほどだ。
明るいネオンで照らされた上海の街と、それを反射している海面が共鳴してとてもきれいだ。たくさんの観光船も公園とネオンの街並みの間を、船自身もピカピカの光を放ちながら行き交っている。しばらく堪能したところで疲れ切ってしまい、ここからタクシーで帰る。今考えれば地下鉄で帰ればすぐ着いたのに、この時はまだ地下鉄なんて怖すぎて選択肢に毛頭無かった。
係員のひとがたくさんいるから、ちょっと進んでは「タクシータクシー」と言って、タクシー乗り場の方向を指してもらい、なんとかタクシー乗り場まで辿り着いた。
指を刺された方向に向かって行くと5組ほどの列があり、ちゃんと看板にも「taxi」と書いてあった。ここで間違いなさそうだ。ここで待っていればいずれ来るだろうと思い、列の最後尾に並ぶ。
5分経ち、10分経ち、気づけば30分待っていた。その間に来たタクシーの数はたったの一台。ただでさえ夜9時近くになっていたのに、これではどんどん帰るのが遅くなってしまう。早く帰りたい。
ふと横を見たら、正規のタクシー乗り場のすぐ近くで、手を挙げてこっそりタクシーに乗っている人がちらほらいた。私も、ここでぐずぐずしてはいられない、と思い、警備員の目を盗んでこっそりタクシーに乗り込んだ。
助手席に乗って、ふぅと一息ついていざタクシーの運転手に行き先を伝えようとしたら、なんと後ろの席に他の客が座っていたのだ。私も焦ったし、運転手も焦っていた。後ろの客は、もう降りるから大丈夫だよ。と言ってくれたお陰で、ようやく捕まえたこのタクシーに乗って帰れる兆しが見えた。
今回は行き先もすんなり伝わった。でも運転手はソワソワしていて様子がおかしい。しばらく走ってから、スマホで翻訳された文章を見せられて読んでみたら、「次タクシーに乗る時はソフトウェアを使ってください。」と書かれていた。ソフトウェア?何のこと?と思い、しばらく考えてハッとした。このタクシー、実はとあるシェアライドのものなのではないか。。。?
無理矢理行動すると良くないとはこの事だ。申し訳ないことをしてしまった。それから宿に着くまでの間、なんとなく気まずい空気が流れた。中国のタクシーにこんなに苦労するとは思ってもみなかった。